【日本文化考】和歌山県「紀州漆器」

【日本文化考】和歌山県「紀州漆器」

四大漆器産地のひとつである和歌山県「紀州漆器」

 英語では磁器を「chaina」、漆器を「japan」と呼ぶように、欧米では漆器が日本の特産品と考えられていた。漆器の起源説について歴史を遡ると約4000年前に中国で食器として使われた記録があり、日本では縄文時代、土器などに彩漆をほどこしたものなどが発見されている。 和歌山県の「紀州漆器(黒江塗)」は、石川県の山中漆器、福島県の会津漆器、福井県の越前漆器とともに、わが国の四大漆器産地のひとつに数えられ、海南市黒江地区で生産されている。

 紀州漆器の起源は室町時代、紀州木地師によって渋地椀が作られたのが始まりだといわている。これに加えて、現在の和歌山県岩出市にある根来寺で、僧侶らが寺用の膳、椀、盆などを作ったものも、紀州漆器の起源のひとつといえる。根来寺に始まった塗り物は、「根来塗」と呼ばれ、黒漆で下塗りをして、その上に朱塗を塗る。使用中に表面の朱塗が磨滅して下塗りの黒漆がまだらに露出した。それに趣きがあると喜ばれたという。

 その後、豊臣秀吉が紀州征伐で根来を攻めた際、難を逃れた僧が、その技術・技法を海南市で漆工に伝えた。江戸時代初期には海南市は渋地椀を中心とする産地となり、江戸時代中期、紀州徳川藩の保護もと発展の基礎を確立する。さらに、堅地板物の成功や蒔絵による加飾の導入などで長崎や神戸の外商に直売を開始し、その地位を不動のものとした。

 明治維新の廃藩置県により、紀州藩の保護を失ったことで、衰退するかに見えた紀州漆器だが、明治3年に本格的な貿易を開始したことにより回復。明治12年他県産の沈金彫の技術を導入し、明治31年には京都から蒔絵師を招へいするなど、蒔絵の改良に取り組んだ。昭和に入り、天竜塗、錦光塗、シルク塗などの変わり塗が考案され、紀州漆器の魅力を広めた。昭和53年には通産省から「伝統的工芸品」の指定を受け、和歌山県を代表する伝統産業となった。毎年11月の第1土曜・日曜は海南市黒江で「紀州漆器まつり」があり、大漆器市が開催される。漆器蒔絵体験もでき、全国各地から多くの観光客が訪れにぎわっている。

写真協力 : 紀州漆器伝統産業会館「うるわし館」

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