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日出町の歴史

関ヶ原の戦いの後、日出藩3万石を与えられ、姫路より入国した初代藩主・木下延俊(のぶとし)は、慶長7年(1602)8月、この地に日出城を築きました。日出城周辺は、豊臣ゆかりの城下町として発展し、今もなお往時を偲ばせる史跡が数多く残っています。

各名所ホテルからお車で約10分の所に位置しております。

日出町ゆかりの人物

九州に残された豊臣の一族

日出藩木下氏

 

日出藩の藩祖は木下延俊で、豊臣秀吉の正室・高台院の兄である木下家定の子でした。延俊は兄弟の三男で、「関ヶ原の寝返り」で有名な小早川秀秋は実弟にあたります。子のいなかった高台院からは、甥である延俊の兄弟は大層かわいがられていたといわれています。

豊後三賢のひとり

帆足萬里

 

帆足萬里(ほあしばんり)は、三浦梅園(みうらばいえん)・廣瀬淡窓(ひろせたんそう)とともに「豊後の三賢」と称された日出藩時代の儒学者で、教育者として多くの子弟を育て、また政治家としても大いに手腕をふるいました。

音楽家

滝廉太郎

 

名曲「荒城の月」の作曲者・瀧廉太郎は、明治12年(1879)8月24日、東京市芝区佐久間町(現在の東京都港区)に生まれた。彼の父をはじめ、その祖先は日出町に生まれている。日出町佐尾の洞雲山龍泉寺には、廉太郎をはじめ瀧家の墓31基が眠っています。




代表的な観光地

致道館

 

安政5年(1858)、15代藩主木下俊程侯の命により日出城二の丸に開校した藩校。木造2階建て、門を含め家屋全体が旧態のまま残されており、現存する県下唯一の藩校です。開校当時の通達によると学問を修めるだけでなく、礼節、道徳を尊重する人間づくりが行われていました。また、16代俊愿侯のとき、算術、兵学、洋学(オランダ語)の三科も加えられました。

人間魚雷「回天」

 

人間魚雷「回天」は大東亜戦争(太平洋戦争)末期、日本の敗戦が濃くなる中、海軍によって考案され、昭和19年(1944)に山口県の大津島に最初に回天基地が設けられました。戦局の悪化とともに回天は決戦兵器としての役割が期待され、乗員の確保が急務となります。訓練された搭乗員や整備員は、8月3日に愛媛県西海町に第21突撃隊第11回天隊として配備されますが、出撃することなく8月15日に終戦を迎え解隊しました。

松屋寺

 

松屋寺は、前身を西明寺といい、日出藩初代藩主・木下延俊(のぶとし)が慶長12年(1607)に、祖母の朝日の方(豊臣秀吉の正室・高台院の母)と妻の加賀の法名から「康徳山松屋寺」と改称しました。境内には、木下家墓所・日本一の大蘇鉄(ソテツ)・秘宝殿などがあり、雪舟の造園であるといわれている庭園もあります。